廃村八丁で撮った写真
廃村八丁で撮った写真です。
カメラはG9Xです。
廃村八丁は、京都市北部にかつて存在した集落で、600年近い境界争いの末に明治初期に5戸が定住し一時は分教場まで設けられましたが、1941年(昭和16年)に全戸離村しています。WIKIの抜粋です。

左が家のあと。
大通りでしょうか

コケの感じが歴史を思い出させます。

住んでいたころの鍋かな?それとももう少し後の時代のものかな?
離村した後にも、山住まいの人が仮の小屋を建てていたようです。

カケスの羽がひとつ

今でも、スギの植林がなされており、枝も払われているようです。

八丁八幡宮に登る階段
5世帯の村人を見守っていたのでしょう。

八幡宮のあと

現今の八丁山二番地を所有に移さんと発起者が明治元年より多大の苦心と費用を償い、明治九年六月京都府の許可を得て今日に至る。此由を次第し後の世に傳えんと**
うーん、学がないので最後の文字が読めません。
多分「刻む」とかそんな意味だと思うのですけどねぇ。
とんでもない厳しい自然環境で暮らしていた人がいたのですねぇ。
なんだか、胸がつまる感じでした。
廃墟とか、遊郭跡とか、こういう場所はなんだか少し胸がつまる感じがします。
それがどういう感情か、うまく説明できないのですが、なくなってしまうまえに少しでも心に留めておきたいなぁと強く思います。

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カメラはG9Xです。
廃村八丁は、京都市北部にかつて存在した集落で、600年近い境界争いの末に明治初期に5戸が定住し一時は分教場まで設けられましたが、1941年(昭和16年)に全戸離村しています。WIKIの抜粋です。

左が家のあと。
大通りでしょうか

コケの感じが歴史を思い出させます。

住んでいたころの鍋かな?それとももう少し後の時代のものかな?
離村した後にも、山住まいの人が仮の小屋を建てていたようです。

カケスの羽がひとつ

今でも、スギの植林がなされており、枝も払われているようです。

八丁八幡宮に登る階段
5世帯の村人を見守っていたのでしょう。

八幡宮のあと

現今の八丁山二番地を所有に移さんと発起者が明治元年より多大の苦心と費用を償い、明治九年六月京都府の許可を得て今日に至る。此由を次第し後の世に傳えんと**
うーん、学がないので最後の文字が読めません。
多分「刻む」とかそんな意味だと思うのですけどねぇ。
とんでもない厳しい自然環境で暮らしていた人がいたのですねぇ。
なんだか、胸がつまる感じでした。
廃墟とか、遊郭跡とか、こういう場所はなんだか少し胸がつまる感じがします。
それがどういう感情か、うまく説明できないのですが、なくなってしまうまえに少しでも心に留めておきたいなぁと強く思います。

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